

1962年生まれ米ワシントンD.C.出身。ヘヴィ・メタル、スラッシュ・メタル界で世界的に知られ、演歌、J-POPを愛する日本在住ギタリスト。祖父は東欧系。家族に誰一人音楽をやる人がいない環境の中、キッスやラモーンズに魅せられ14歳からギターを始める。「いいじゃん!」が口癖。カコフォニー、メガデスに在籍していた。
1980年代前半、ハワイのホノルルを拠点に活動をしていたマーティは、ヴィクセン('81年)とアロハ('82年)名義でアルバムに参加。その後トリオ編成のバンド、ハワイを結成。ハワイをメイン・バンドとして活動する中、シュラプネルから「One Nation Underground」でデビュー。いくつかのバンド活動を並行してこなし精力的に活動していたが、ホノルルという土地柄もあり、徐々に思うような活動ができなくなっていった。そんな時マイク・ヴァーニーから電話があり、「新しいプロジェクトをやるからサンフランシスコに来ないか?」と誘われる。それが弱冠17歳のギタリスト、ジェイソン・ベッカーとの『カコフォニー』だったわけである。マイクが彼の『Guitar Player』誌のコラム(レーサーX、スティーラーなどもここからデビュー)でデモ・テープを送ってきたジェイソンのプレイを紹介したところ反響が大きく、マーティとのジョイント・プロジェクトとなった。
カコフォニーはレーサーXのような当時の L.A. メタルの特徴の一つである高速ツイン・リード(と言ってもこの2つのバンドの演奏レベルは別格)に、マーティの中近東・日本などのエキゾチックな音階が至る所に取り入れられていた。日本的要素はハワイ時代に吸収したものだろう。カコフォニーでは 2 枚アルバムを出している。'87年ファースト・アルバムには「Concerto」「Speed Metal Symphony」というネオ・クラシカルなインスト・ナンバーも収録されている。ジェイソンの音楽の基盤となっているクラシカルな部分にマーティ得意のエキゾチックな要素が加わり、そのコントラストが特徴的。2人交互に入れ替わるソロ、恐ろしく複雑なフレーズを一糸乱れずにハーモニー、ユニゾンする様は圧巻。9分以上に及ぶ大作「Speed Metal Symphony」はまさにギター・ソロ天国で、2人の天才ギタリストを世に知らしめた、ネオ・クラシック・ファン必聴の曲である。その他の楽曲については、特にギターのバッキング面ではハワイでのプレイを色濃く残しているところから、曲の主な構成はキャリアのあるマーティがイニシアティブをとっていたことが解かる。セカンド・アルバムではメンバーが強化され、ヴォーカルでも聴かせる曲など、バンドという形を強化したアルバムになった。同時期にマーティはシュラプネルから「Dragon's kiss」を発表。情緒的なメロディーにメタル・サウンドのマーティらしいプレイの「Thunder March」も収録されている。ギター・インストの不朽の名曲である。
カコフォニーで名声を得たマーティは、1990年にビッグ・バンド「メガデス」のリード・ギタリストに抜擢され、その後 10年間メガデスで活動する。加入後最初のアルバム('90年、メガデスとしては通算4枚目)「Rust In Peace」及びセカンド・アルバム('92年)「Countdown To Extinction」は彼らの黄金期、最高傑作と言われる。スラッシュ・メタル路線を踏襲し、そこへヘヴィ・メタルの要素とマーティ独特のメロディ、高度な技術が融合している。長い間 MEGADETH に在籍したが、リーダーのデイヴ・ムステインとは最後まで音楽性の違いなど確執があったとされており、結局マーティからバンドを脱退した。
メガデスで活動する傍ら、Scenes('92年)、Introduction('94年)、True Obsessions('96年)と 3枚ソロ・アルバムをリリースしている。Scenes では日本のキーボード奏者の喜多郎をプロデューサーに迎え、ニュー・エイジ色の強いアルバムとなっている。後日マーティはこのアルバムに対して「内的平穏を得られる音」「ロックを思い起こさせる部分はほとんどない」と説明している。Introduction ではさらに日本の影響が強くなっており、突然女性の声で日本語による甘い語りが出てきてビックリする。尺八、バイオリン、チェロも使われている。この頃('94年)、日本のギター雑誌『YOUNG GUITAR』で 〜ギターキッズがんばって〜 というコーナーの連載を始める。音階の基礎などから解説するギター初心者向けのコーナーで、タイトルがマーティ直筆だったのが印象的だった。ご想像の通り、マーティはハワイに住んでいた時から日本の文化に触れ、美空ひばりや都はるみのフリークであったほどの日本びいき。日本人のガールフレンドもいて、独自に日本語の勉強をしていた。
2000年メガデスを脱退後、大学に通って本格的に日本語を学んでいる。アリゾナ州での日本語弁論大会で2位を獲得したこともあるほどの実力。そしてついに 2004 年、ついに日本へ移住。相川七瀬のバック・バンドにギタリストとして参加し、これを契機に日本での音楽活動を開始する。2005年『ヘビメタさん』、2006年『ROCK FUJIYAMA』などのテレビ番組でレギュラー出演。八代亜紀に初めて会って感動している場面、日本の楽曲の素晴らしさを(強引にメタル風にアレンジして)ギターと流暢な日本語で伝える外国人ギタリストの姿が、視聴者から好感が持たれた。その後様々な国内メディアに声がかかるとともに知名度も上がっていった。
ここ数年は J-POP にもかなり興味を示しており、有名どころでは Perfume や ももいろクローバーZ、BABYMETAL を気に入っている(ヒット理由も分析)。そしてそんな曲が街のいたるところで聞くことができる日本いいじゃん!と言っている。この点はあまり日本人は気づいてない所なのかも知れない。日本のアイドルの大ヒット曲の特徴はルックスではなくメロディで、遊園地みたいにいいところが沢山詰まっていると分析している。最近は J-POP のカバー・アルバムなども発表しているが、先日ニュー・アルバム「Inferno」を発表。このアルバムでは久しぶりにギター中心のスラッシュ・メタル、ヘヴィ・メタルのサウンドを堪能できる。メガデス、カコフォニー時代の重厚なリフ、メロディアスかつ高速ギター・ソロ、高速ユニゾン、オリエンタルな音階。グレッグ・ビソネットがドラムを叩いている曲もあれば、ジェイソンと共作もあり、しばらくマーティから離れていた方にも是非聴いていただきたい。

1960年生まれ米ニューヨーク州出身。「鬼才」「変態」とよく形容される天才ギタリスト。作曲家でありエンターテナー。グラミー賞受賞。フランク・ザッパ・バンド、アルカトラス、デイヴィッド・リー・ロス、ホワイトスネイクなど超大物バンドの経歴を持つと同時に、ソロ・アルバムでも多くの曲を発表している。G3など他のギタリストやミュージシャンとの共演も多い。ジョー・サトリアーニとは同郷で同じ高校。
6歳の頃からオルガンを始め、11歳でアコーディオンも始めるが馴染めなかった。中学時代にはレッド・ツェッペリンを聴き始めロックに目覚め、5ドルで友人からギターを購入、地元でギター講師をしていたジョー・サトリアーニを訪ねてギターのレッスンを受ける。高校では音楽科を専攻して音楽理論の勉強を始め、15歳ではオーケストラ用の譜面を書くほどになっていた。そして高校2年の時フランク・ザッパの音楽に出会い、さらに音楽を真剣に学びたいと考えたスティーヴはバークリー音楽大学へ進学する。1日12時間以上猛勉強し、スケールやモード、理論、読譜、演奏技術などを短期間で身につけていった。そんな勤勉な大学生時代にザッパの曲を採譜しテープを直接本人へ送ったことがきっかけで、ザッパ・バンドの採譜役として雇われる。その後正式にバンドのギタリストとして加入する。「プレッシャーで潰れそうになってた。演奏するにはとても難しくて、どうやってもミスは避けられなかったし、常に練習しなくてはならなかった。」と後日語っている。
'84年、自宅のスタジオでレコーディングした初のソロ・アルバム「Flex-Able」(後にFlexable)を発表。この年のザッパのツアーには参加しなかった。同年、イングヴェイが脱けたアルカトラスのグラハム・ボネットから白羽の矢が立ち加入する。あのイングヴェイの後任であったため話題にならないわけがない。超高速でクラシカルなカッコいいイングヴェイに対し、変な柄のプリントシャツにピチピチのパンツを履いたドレッドヘアでアーム多用の聴き慣れない音階を弾く新しいギタリストは、あまり肯定的には受け入れられなかった。しかし今聴いてみると、スティーヴらしさがこの頃からはっきり出ていることが分かる。Flex-Able ではリディアン・スケール、極端なまでのアーミング、タッピングを使ったレガートなプレイなど、スティーヴの代名詞的なプレイが聴ける。また PV では何本もギターを変え、股下でアーミングしたり、ギターの下から手を出してタッピングしたり、肩に乗せてバイオリンの弓で弾いてみたり、来日時は「神風」と書かれたストラップを付けてたり…、当時から見られることを意識したプレイをしている。ちなみにこの頃のギターはジャクソン、カーヴィン、シャーヴェル、フェンダー製を使用しており、フェンダーのストラトは改造が施され、フロイド・ローズにSSHでピックアップがマウントされている。
アルカトラスでアルバムを1枚出した後、スティーヴ以上のエンターテナー、デイヴィッド・リー・ロスから引き抜かれる。ビリー・シーン、グレッグ・ビソネットと超豪華メンバーに加えてプロデューサーはヴァン・ヘイレンを手がけていたテッド・テンプルマン。アルバム「Eat'Em And Smile」では MR.BIG などでも演奏されている「Shyboy」など、4人の個性と演奏技術の高さが感じされる曲を聴くことが出来る。実はこのバンドでもスティーヴはあのエディ・ヴァン・ヘイレンというギター・ヒーローの後任という形になってしまっているが、比較されるだけの実力は既に持っていたし、だからこそデイヴに引き抜かれたわけである。このバンドで2枚アルバムを作った後はホワイトスネイクに加入し、ソロ・アルバムを制作しながら映画の出演やプロデューサーなど、'80年代後半から'90年代にかけて活動の幅を大きく広げていった。'90年には「Passion and Warfare」を発表し、インストゥルメンタル・アルバムでありながら全米18位、全英8位の大ヒットとなった。'00年には自身のレーベル「Favored Nations」を立ち上げ、新人ミュージシャンの発掘や育成に力を注いでいる。
近年多忙な中、G3に代表される他ミュージシャンとの共演が見られるようになったのは嬉しい。G3に関して言えば初回が'96年(ジョー・サトリアーニ、エリック・ジョンソン)だから、かなり長い間続けていることになる。このバイタリティには敬意を表したい。ジョン・ペトルーシ、マイク・ポートノイ、ビリー・シーン、トニー・マカパイン、ウリ・ジョン・ロート、スティーヴ・モーズらとの共演は、リスナー視点ではあまり聴いていなかったミュージシャンを知る機会にもなっていると思う。スティーヴにはジョー先生と一緒に今後も音楽の輪を広げていって頂きたい。

1970年生まれ米ペンシルバニア州出身。ロック、ブルース、ソウル、ファンク、ジャズ、フュージョンなど多彩な音楽スタイルと非凡な演奏テクニックを兼ね備えるギタリスト、作曲家。ヴォーカルを担当することもある(そして上手い)。類い稀なるギター・テクニックとセンスをマイク・ヴァーニーに買われ、シュラプネルから弱冠19歳でデビュー。毎年のようにソロ・アルバムを制作する傍ら、POISON、MR.BIG など有名バンドにも在籍していた。現在はマイク・ポートノイ、ビリー・シーンと3人で The Winery Dogs を結成、アルバムを出しライブ活動を行っている。
クラシック・ロックとR&B好きな両親を持ち、5歳からピアノのレッスンに通っていた。7歳でKISSに衝撃を受けロックに目覚め、ギターを買ってもらって弾き始める。ブラック・サバスやアイアン・メイデン等のヘヴィ・メタルも聴くようになる。自分にはクラシック的要素は何もないと言い切るほどピアノは全く練習しなかったが、ギターは教室にも通って真剣に練習した。12歳の時、本格的に練習するようになっていたリッチーは両親からYAMAHAのギターSG2000を買ってもらい、長い間それをメイン・ギターとして使っていた。プレイ・スタイルはエディ・ヴァン・ヘイレンから影響を受け、コピーもしていたと言っている。ロック系だけでなく、幼い頃からファンク、ソウルやジャズも好きで、スティーヴィー・ワンダーやスピナーズ等も聴いていた。唄って踊ってギターも弾けるプリンスの大ファンであることは有名。13歳でバンドを組み、クラブでライヴ活動などをするようになる。17歳の時には既に他のアーティストの前座として500以上のライブをこなしていた。そんな中、マイク・ヴァーニーに声をかけられた。
スチュアート・ハム(bass)、スティーヴ・スミス(drum)、プロデューサーはマイク・ヴァーニーとジェイソン・ベッカーという強力サポートの下、'89年シュラプネルからファースト・アルバム「Richie Kotzen」発表。全曲インストゥルメンタルでリッチー曰く、「クレイジーな早弾きレコード」。スウィープ、レガート、タッピング、アーミングを多用した超絶技巧プレイ満載のアルバムになっている。アル・ディ・メオラ(高速パートでエコノミー・ピッキング、スウィープ、ハンマリングをほとんど行わず、フルでオルタネイト・ピッキングするフュージョン・ギタリスト)はほとんどコピーできなかったと言っているが、逆にタッピングを多用したレガート・プレイが凄まじい。ネオ・クラシカルな曲もあればファンキーなもの、アラン・ホールズワースを彷彿させるフュージョンっぽい曲もある。このアルバムでは Ibanez のボディにディマジオのハム・バッカーをマウントした当時流行りの HM/HR 系の歪ませた音だったが、サード・アルバムではテレキャスターをメインで使用。クリーン・トーンも織り交ぜ、フィンガー・ピッキングでブルージーな曲もやるようになった。POISON からは'93年にアルバムを1枚出した後、メンバーとの不和によりバンドを脱退。その後シュラプネルのフュージョン系ギタリストのグレッグ・ハウとアルバムを2枚発表。スタンリー・クラーク、レニー・ホワイトといったジャズ/フュージョン界の大物とのプロジェクトも実現、高い評価を得た。'99年ポール・ギルバートと入れ替わりで MR.BIG に加入、3年間ほど在籍する。ビッグ・バンドに入ったことでリッチーの名前が世間に広く知られた。また、ライヴで Deep Purple の Burn をカバー、高速レガート奏法が話題になった。ソロに戻った後は、ロスにレコーディング・スタジオを開設し、ガンダムの主題歌のカヴァーなども含め、ギタリストにとどまらないマルチな活動をしている。
現在はマイク、ビリーとパワー・トリオ「The Winery Dogs」で活動中。どのパートも知的プレイヤーで、演奏も超一流。今年東京でのライヴ DVD が発売になったばかりなのでチェックしてみてはどうだろうか。

1948年生まれ米イリノイ州出身。経験豊富な敏腕セッション・ミュージシャン、ギタリスト。ピーター・ガブリエル(ジェネシス)、ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、アリス・クーパー、ジュリアン・レノン(ジョン・レノンの息子)らのアルバムやツアーに参加していたことで知られている。幼少期はオルガンを父の膝の上で弾くような音楽一家に育ち、8歳から5年間ほどラップ・スティール・ギター(膝に乗せて演奏するタイプのギター)を学んだ。12歳頃からは通常のギターも演奏するようになった。ザ・ベンチャーズ、チェット・アトキンス等の影響も受けている他、B.B.キングなどからブルースの影響も受けている。
19歳の時、スティーヴはアメリカ軍のX線技師として沖縄に赴任していた。この頃は時間の許す限りギターを弾きまくっていた。沖縄から戻ってくるとスティーヴの才能あるプレイが評判となり、他ミュージシャンのアルバムに参加するようになる。独自のテクニック、演奏スタイル、音作りはミュージシャンの間で注目されるようになった。そんな時、ミッチー・ライダーのアルバム「デトロイト」('71年)でレコード・プロデューサーのボブ・エズリンと知り合う。そして彼を通してヴェルヴェット・アンダーグラウンドを脱退したばかりのルー・リードやアリス・クーパーらと活動を始める。ルー・リードのアルバムにはソロの3枚目である「Berlin」から参加したが、これは後に初期ルー・リードの最高傑作と言われるようになる。その後2枚のソロ・アルバムをリリース、'90年代にはデイヴィッド・リー・ロスと「A Little Ain't Enough」を含む3枚のアルバムを制作する。この時ジェイソン・ベッカーと出会う。それ以来親交を深め、ジェイソンのアルバム「Perspective」では3曲録音に参加している。
最近の活動では、長いブランクを経て'08年のルー・リードのライブ・アルバムに参加、アリス・クーパーとも'11年のツアーを一緒に回っている。'13年には5枚目のソロ・アルバムとなる「Manhattan Blues Project」を発表、ゲスト・プレイヤーにはジョー・サトリアーニ、トニー・レヴィン(キング・クリムゾン)、ジョー・ペリー(エアロスミス)、マーティ・フリードマン、マイケル・リー・ファーキンスなどベテラン勢が名を連ねており、ミュージシャン仲間からもリスペクトされていることが分かる。そしてこのアルバムにはジェイソン作曲の曲も収録されていることに注目したい。'14年現在もまだまだ現役で他ミュージシャンとセッションし、レコーディング活動を続けている。

1956年生まれ米ニューヨーク州出身。ギター・インストの先駆者でメジャー音楽の地位にまで押し上げた功労者。日本のテレビ番組でもジョーの曲はBGMとしてよく使われている。ヒット作となった'87年「Surfing With The Alien」、'92年「The Extremist」、'98年「Crystal Planet」などアルバムを発表する傍ら、'96年からG3(ジョーをメイン・アクトとするギタリスト3人)の活動を開始。参加ギタリストとしてスティーヴ・ヴァイ、イングヴェイ・マルムスティーン、ポール・ギルバート、マイケル・シェンカー、ロバート・フリップなどなど超大物ギタリストが名を連ねる。音楽の才能だけではなく、人を束ねるコンポーザーとしての非凡な才能も持ち合わせている。
ジョーは10歳の頃からドラムを叩き始め、14歳の時、尊敬しているジミ・ヘンドリックスの死をきっかけにギターに転向することを宣言。地元の高校で美術教師として働いていた姉からエレキギターを買ってもらう。それからジミ・ヘンドリックス、ツェッペリン、ローリング・ストーンズなどをコピーしまくる。高校時代はピアノ・レッスンを通して音楽理論を勉強しながら、ビーバップ・ジャズのピアニストからジャズを学び、独学でもジャズ・ギターの勉強をしていた。ギターを始めてすぐに近所では有名なギター・インストラクターになっていた。同じ高校に通う3歳ほど年下のスティーヴ・ヴァイが5ドルで買ったギターと弦のセットを持ってジョーの家を訪ねたのが、スティーヴとの師弟関係の始まりである。高校を出た後音楽活動を始めるが、音楽業界にあまり馴染めず放浪の旅に出る。半年ほど京都に住んでいた。
京都からカリフォルニアのバークレーに移った後、小さな店でギターを教えながら他のミュージシャンのレコーディング・ツアーに参加(グレッグ・キーン・バンド、スチュアート・ハムらと)し、セッション活動を行っていた。この時、高校生か卒業して間もないカーク・ハメットがジョーのところに来てレッスンを受けていた。そしてレッスンをやっている間にカークはメタリカに参加。ジョーは後日「すごくいい時期に彼のレッスンを担当できた」と話している。そんな中、'85年にファースト・アルバム「NOT OF THE EARTH」を発表。ギターのみならずキーボードとベースもジョーがプレイしている。ちなみにこのアルバムをシュラプネル・レコーズに持っていったが、「うちには合わない。もっと髪を伸ばして、速弾きしろ」と言われたらしい。
セカンド・アルバムはジョーにとって大きな転機となった。'87年「Surfing With The Alien」の発表。アルバム発表から今日まで、スポーツ番組など日本のテレビでもBGMとして流されまくっている。このアルバムは予算超過の上、ジョーを含め誰も売れると思っていなかったらしい。ところが発表直後からチャートを急上昇、レコード会社社長からは「あらゆるラジオ局がレコードをかけてるから直ぐにツアーに出ろ」と。初めての自分のツアーの後、アメリカに戻ったらアルバムはプラチナになっていて、TVに出演し…。この手のインスト・アルバムとしては当時異例のヒットで、日本ではCBSソニーと契約、リリースされている。音楽に年齢は関係ないが、ヒット作が30歳を過ぎてからという事を考えると遅咲きのギタリストとも言えるかも知れない。
その後リリースされた「The Extremist」などにもテレビでよく使われている人気の高い曲が多く収録されている。4枚目以降のアルバムでは、ギターとベースのエフェクトに厚みが出て、ドラムが華やかになり、バンドとしての音がグレードアップしている。有名な「Friends」「Summer Song」などではグレッグ・ビソネットの気持ちのいいドラムが聴ける。「War」のような中東の音階(湾岸戦争をイメージしている)で激しいアーミング、高速ピッキング・タッピングの曲もあり、このあたりさすが Ibanez (日本のギター・メーカー)のエンドーサーだと感じる。
最近は元ヴァン・ヘイレンのサミー、マイケルらとチキンフットというバンドで活動したりもしているが、ジョーはやはりインスト・ギタリストなので G3 の活動に注目していきたい。様々なタイプのギタリストと共演することで、自身の音楽的な成長・インスピレーションの源にしているように感じられる。そういった新しい事へ取り組む姿勢は聴く方としてもうれしい。アルカトラス出身のイングヴェイとスティーヴが共演したり(しかもトニー・マカパインがキーボードってとっても贅沢!)、ジョン・ペトルーシやエリック・ジョンソンとの共演も素晴らしい。ジョー先生には今後も長く活躍して頂きたい。

1963年生まれ米ニューヨーク州出身。シュラプネルからデビューした、フュージョン、ジャズを得意とするコンテンポラリー系ギタリスト。マイケル・ジャクソン、デニス・チェンバース、スチュアート・ハム、リッチー・コッツェンらと共演している。父親の勧めでアコースティック・ギターを始め、エディ・ヴァン・ヘイレン、イングヴェイ・マルムスティーンなど HR/HM ギタリストから影響を受けた他、フュージョン系ミュージシャンであるアラン・ホールズワースからも特に強い影響を受けている。
マイク・ヴァーニーにテープを送ったことがきっかけで、シュラプネルからソロ・アルバム「Greg Howe」でデビューしている。他パートはビリー・シーン(bass)、アトマ・アナー(drum)という構成。ジェイソン・ベッカーが CACOPHONY からデビューした翌'88年である。1stアルバムではタッピング、スウィープやレガートな高速プレイが堪能でき、ファンク調のノリの良いナンバーが多く、歪んだメタル・サウンドに仕上がっている。以降はフュージョン、ジャズ色が強いものが多い。2ndソロ・アルバムには難病に苦しんでいるジェイソンに贈ったアコースティック・ナンバー「Desiderata」が収録されている。「これまで彼のトリビュート・アルバムに参加できなかったから…」という理由で収録された。
ソロ活動と並行して他ミュージシャンとのセッションにも参加している。リッチー・コッツェンとのコラボでは2枚のアルバムを発表、トーン・センター(シュラプネルのサブ・レーベル)のジャズ、ブルース系ミュージシャンと共演するなど、活動の幅を広げている。またグレッグのキャリアであまり取り上げられないが、ヴィタリ・クープリの1stソロ・アルバム(シュラプネルより'97年発表、全曲インストゥルメンタル)ではギターとベースを担当しており、ここでグレッグの超絶技巧高速ネオ・クラシカル・プレイを聴くことが出来る。ジョージ・ベラス(ヴィタリの2ndソロ・アルバムでプレイ)、トニー・マカパイン(3rdソロ・アルバムでプレイ)好きには堪らないナンバーばかりとなっているので、是非チェックして欲しい。

1957年生まれ米カリフォルニア州出身。ロック、ジャズ、ブルースなど幅広いジャンルを弾きこなすマルチ・プレイヤーで、TOTOのギタリスト、ヴォーカリストとして有名。エディ・ヴァン・ヘイレンとは同じ高校に通っていた先輩・後輩の関係で、とても仲がいい。7歳の時にギターとビートルズのCDを買ってもらい、独学でギターを始める。高校に入ってから譜読みやオーケストレーションなどのレッスンを受けて本格的に音楽を学び始めた。この頃のスタジオ・ミュージシャンとしての活動が注目を浴び、TOTOからデビューしている。
スティーヴの確かな演奏技術、音楽性、適応力はどれをとってもレベルが高く、ミュージシャン達からの信頼が厚い。ラリー・カールトンと共演したライブ・アルバム(プロデューサーはスティーヴ・ヴァイ)はグラミー賞を受賞するなど、実力は折り紙付きである。近年は TOTO 結成メンバーであるマイク・ポーカロ(筋萎縮性側索硬化症(ALS)で闘病中)の救済を目的として、活動を休止していた TOTO を再結成、ツアーを再開している。また、同じALSのジェイソン・ベッカーのトリビュート・コンサートにも参加している。'14年にはTOTOのメンバーとして来日し全国7公演を行ったばかり、'15年も「TOTO XIV」というタイトルのアルバムをリリース予定で、精力的に音楽活動を続けている。

1967年生まれ米ネブラスカ州出身。シュラプネルからデビューした、カントリー、ブルース系ギタリスト。父親はラップ・スティール・ギター演奏家、母親はピアニストという音楽一家で育つ。アコースティック・ギターを独学で始め、その後本格的にレッスンに通うようになり、演奏技術を高めていった。ブラック・サバスやジミ・ヘンドリックスなど主にHR/HM系の音楽に傾倒していた。
ファースト・アルバム「Michael Lee Firkins」はコンテンポラリーなインストゥルメンタル。デビュー・アルバムとは思えないほど高い演奏レベル、サウンド面でも既に完成された独自のものを持っていた。シュラプネルのミュージシャンとしては異色で、フィンガーピッキングでの高速プレイが特徴的(カントリー・ミュージシャンのアルバート・リーのプレイ・スタイルを取り入れていると語っている)。アーミング、カポタスト、スライド・バー(ボトルネック奏法)、サムピックなども使う。このファースト・アルバムは10万枚を越すセールスを記録し、エリック・ジョンソンやスティーヴ・モーズなどの著名なギタリストからも賞賛を受けている。収録曲「Laughing Stacks」や「Runaway Train」は日本のテレビ番組でもBGMとして流れるほどである。ちなみにここで使ったギターはヤマハのギターPacificaモデルで、エフェクターは使っておらず100Wのマーシャル・アンプに直繋ぎというから驚きである。
マイケルがさらに有名になったのは、ジェイソンの名曲「End Of The Beginning」でギター・パートを演奏したことに依るところが大きい。PVを見て「ギターを弾いているのは誰?」と思った人も多いだろう。まるでジェイソン本人が弾いてるかのようである。この演奏はジェイソン作成の譜面通りにマイケルが弾いたもので、マイケルの珍しいタッピングも聴くことが出来る。曲中の強いビブラートは彼独特のアーミングによるもの。右手小指を常にアームにひっかけておき、拳を細かく揺らすことでビブラートをかけている。レコーディングはジェイソンの自宅で行われた。ちなみにオーケストラの弦楽器パートはバイオリンのサンプリング音源を使い、キーボードで演奏されている。
その他マイケルの演奏を見ると、スライド・バーを使いながら指弾きとピッキングを弾き分け、ピックアップ・セレクターで頻繁に音色の変更を行うなど、サウンドへのこだわりも伝わってくる。近年のマイケルの演奏は「Jason Becker Not Dead Yet」のライブなどでも確認でき、ボトルネック奏法によるカントリーの要素を取り込んだHR/HMは斬新でとても格好いい。

1957年生まれ米カリフォルニア州出身。ギタリスト、音楽プロデューサー。'80年代のメタル・シーンにおいて数多くのギター・ヒーローを世の中に送り出したことで有名なインディーズ・レーベルのシュラプネル・レコーズ創始者。新人の凄腕ギタリストを見つけてきて自身のレーベルからデビューさせたことから、『ギタリスト発掘名人』の異名を取る。4万枚を超えるLPレコード、CDのコレクタとしても有名。
サンフランシスコのベイエリアで生まれ育ったマイクは、'78年当時ベイエリアで最も成功したバンドの一つと言われたパンク・ロックバンド「The Nuns」で活動していた。同時に自身が率いるバンド「Cinema」のリード・ギターとしても認知されていた。ジェファーソン・エアプレインと共作の「Rock Justice」にも参加、EMIから'80年に発表されている。この頃からギタリストとして以外の音楽活動に興味を持ち始め、'80年、22歳の時にシュラプネル・レコーズを設立する。設立当時はヘヴィ・メタルのみ扱うレーベルとしてスタートを切った。
シュラプネルを設立して間もなく、Guitar Player 誌にて『Spotlight』というコラムを始める。ここでは毎月読者から送られてくるデモ・テープを紹介し、その中でもマイクに認められたギタリストがシュラプネルからデビューしていった。'82年に始まったこのコラムからデビューしたギタリストには、イングヴェイ・マルムスティーン('83年にSteelerのギタリストとして)、ジェイソン・ベッカー、ヴィニー・ムーア、グレッグ・ハウ、トニー・マカパインなどがいる。彼らのアルバム制作のプロデュース、バンドとのマッチング、ソロ活動のサポートを行い、徐々に扱うミュージシャンを増やしていった。そして'80年代後半の速弾きブーム到来と共にシュラプネル・レーベルは全盛期を迎えた。
その後マイクは'91年シュラプネルのサブ・レーベルとしてブルース・ギター、ブルース・ロックを扱うブルース・ビューローを、'97年にはジャズ、フュージョンを扱うトーン・センターを立ち上げる。トーン・センターにはエリック・ジョンソン、トニー・マカパイン、バニー・ブルネル、デニス・チェンバース、スティーヴ・モーズ、フランク・ギャンバレ、グレッグ・ハウなど、有名ミュージシャンが名を連ねる。さらにプログレッシブ・ロック系のマグナ・カルタ・レーベルの株式50%を保有しており、ビリー・シーン、デイヴィッド・リー・ロス、デレク・シェリニアン、ジョーダン・ルーデス、テリー・ボジオ、マイケル・リー・ファーキンス、マイク・ポートノイなど、こちらの顔ぶれも凄い。
シュラプネル設立から30年以上経った現在、マイクは4つものレーベルを持つことになり、多くのミュージシャンを排出してきた。才能のあるミュージシャン(特にギタリスト)を発掘し、アルバムにして我々に届けてくれたことを感謝したい。そしてシュレッド・ギターの名曲が量産されたシュラプネル黄金期を知らない方には是非、当時のアルバムを聴いていただきたいと思う。
テキスト:小林知樹